hideに纏わる人々のエピソード

1998年5月2日はhideさんが亡くなった日です。

あの日、仲間と酒を飲みました。

仲間から突然電話が掛かってきて、「これから呑まない?hideも亡くなったことだし」という電話でした。

歳がばれますね。

そんな衝撃的なゴールデンウィークの前夜でした。

今でも非常に残念に思います。

そんなhideに纏わる人々のエピソードをご紹介します。

hideと布袋さん

2018年11月に布袋寅泰さんのライブを見に行きました。

冒頭、布袋さんは、hideが愛用していたモッキンバードと呼ばれるシェイプのギターに、布袋マークをペイントしたギターで現れました。

それで一曲目に、hideのロケットダイブを演奏されました。hideのギターに布袋マーク、演奏した曲はhideのRocketdive…

泣けましたね。

布袋さんとhideさんは東大寺で行われた今で言うフェス、「あおによし」で共演したことをきっかけに交流が始まったようです。

hideさんとは同じギタリストとして話が合ったのでしょう。

hideさんのフレンドリーな性格もあったのだと思います。

ちなみに布袋さんはこの時、YOSHIKI さんとケンカになっています。

YOSHIKI さんが遅刻してきたことが原因らしいです。

MIYAVIとhide

MIYAVIさんもhideとは浅からぬ関係があります。

MIYAVIさんはちょうどhideが亡くなった後にデビューしました。

その時スタッフ達をhideから引き継いだそうです。

そのため、スタッフ達がMIYAVIにかける思いがすごかったらしいです。

MIYAVIさんもスタッフ達の期待に応えようとします。

当時の映像を見るとまるでhideの世界観です。

おどろおどろしい感じや、歌い方もそっくりです。

吉井和哉とhide

YELLOW MONKEY時代にhideに褒められた曲があるそうです。

それが「球根」です。

hideは「球根」が、ポップス全盛の時代にあえてロック色を出した曲として高く評価していた、とのことです。

また、吉井さんもhideのことを「ポップス時代に上手くロックの色を出している」と評していたようです。

ロック出身のアーティスト同士、お互い通ずるものがあったのだと思います。

ドラゴンアッシュkjとhideさん

この人もhideさんが大好きだったのだと推測されます。

hideさんのプロジェクト「レモネード」に参加していたゼペットストアを「メロディでは敵わない」と言っていました。

また、hideさんが亡くなった後に出演した音楽番組ではhideモデルのギターを使用していました。

ちなみにこの時、ベースの馬場さんはhide人形をアンプの上に置いていました。

言葉には出さないけど、好きだったんだな、ということが伝わってきました。

Xの泰司とhide

泰司さんもhideさんの死には大変ショックを受けたようです。

当時、泰司はXとは絶縁状態。

それでもhideの死は泰司に衝撃を与えたようです。

プロインタビュアー・吉田豪さんのインタビューで、吉田さんに悪態をついていた泰司さん。

その悪態もhideさんの話になるとトーンダウンしました。

hideさんの死に大きな衝撃を受けたそうです。

hideさんと一緒にXのアレンジを考えていた時期もあったそうです。

サディスティック・デザイアなどはhideさんの昔のバンドのバージョンとは全然違います。

途中泰司さんのスラップが入ったりしています。

デランジェのKyo とhide

デランジェ、ダイ イン クライズと活動した人です。

この人はhideさんが横須賀でやっていたサーベルタイガーというバンドのメンバーでした。

二人とも別々のバンドに別れても活躍するなんてすごいですね。

hideさんの交友関係・最後に

ここまで色々なhideさんが交流をもった人たちを見てきました。

hideさんはその人柄もあって、実に多くの人たちとの交流がありました。

そんなhideさんが亡くなってしまったのは本当に残念なことでした。

生きていたらなんて想像は無駄かもしれません。

だけど、せめて今日くらいはそんな想像をしてみたいと思います。