音楽プロデューサー亀田誠治さん。椎名林檎さんとの出会い。二人の天才が出会って奇跡が起きた

亀田誠治さんをご存知ですか?

スピッツ、平井堅さん、スガシカオさんなどのプロデューサーとして数々のヒット曲を飛ばしています。またベーシスト、アレンジャー、作曲家としても活躍しています。

私は最初に亀田誠治さんを知ったのは椎名林檎さんの バックバンドのベーシストとしてでした。

椎名林檎さんの作る独特の世界と声が大好きで曲を聴き始めました。

曲を聴くうちに背後でうねっているベースにも心を惹かれたものです。

当時はあまりスマホなどはなく、インターネットもそれほど普及していませんでした。

今なら「椎名林檎 バック バンド ベース」で調べればすぐにわかりますけどね。

まあ亀田誠治という名前を聞いても当時の僕にはピンとこなかったことでしょう。

椎名林檎さんのファーストアルバム、セカンドアルバムでは 亀田誠治さんのうねるようないやらしいぐらいのボイスが聞けます。

以下、ウィキペディア「亀田誠治」さんのページから引用です。

1998年に椎名林檎と出会い、これが2度目の転機となる[12]。当時、椎名のような個性を持つアーティストはおらず、それをどう生かすかで悩んでいたレコード会社の担当者が、亀田なら椎名と上手に向き合って何か生み出してくれるのではないかと期待して声をかけてきたものだった[注 2]。

引用元↓

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E7%94%B0%E8%AA%A0%E6%B2%BB

そんな亀田さんが有名になったのは椎名林檎さんのアルバムに参加したことですね。

椎名林檎という強烈な個性を支えた、実質的なプロデューサーが亀田誠治さんでした。

なので、この時のプロデューサーは亀田誠治さんではありません。

椎名林檎さんの1st アルバム2nd アルバムは北城宏志という方がプロデュースしています。

当時椎名林檎さんのインタビューを読んだら、

「正しい街という曲で、プロデューサーに『結局正しい街ってなんだったの?』と言われ、すごく悔しかった」

と答えています。

そんな悔しい思いをした椎名さんの個性を支えたのが亀田さんなんですね。

亀田さんは椎名さんと一緒にデモテープ作りを始めました。そしてレコード会社に持っていくとダメ出しを食らいます。 しかしそういう雑音を跳ね除け椎名さんのやりたい音楽を作らせる。亀田さんはその盾になったそうです。亀田さん、さんかっこいいですね!

朝日デジタルのインタビュー記事を参照しました↓

https://www.asahi.com/and_M/20190422/1808041/

これらのアルバムには、亀田誠治さんはベース兼アレンジャーとして参加しています。

亀田さんは当時知る人ぞ知るアーティストベーシスト だったようですが、プロデューサーとしては未知です。

なのでいきなり亀田さんにプロデュースをさせずに違う人にしたのでしょう。

ベーシストなのですが、あまりバンドでの活動をしていませんでした。バンドでデビューしたのは40歳を超えてからです。

なぜバンドを積極的にやらなかったかというと、

  • バンドに入ると自分の音楽を追求できない
  • 自分の好みに合ったプレイヤーがなかなかいない

というような理由だそうです。

そのため、自分で作曲して、打ち込みでアレンジもして、ユニットなんかで活動していたそうです。

あの頃亀田さんは、椎名林檎さんのPVでガスマスクをかぶってベースを弾いていました(その映像を見つけられませんでした)。

なんか、音は歪んでいるし、やばい人だと思っていました。

ところが性格はポジティブで頭もよい、ナイスなベーシストでした。

ちなみに椎名林檎さんからは師匠と呼ばれています。

そんな二人の動き、これからも見逃せませんね!